エル・カプリチョの歴史
この依頼は、ガウディが協働していた建築家ジュアン・マルトレイによるソブレリャノ宮殿の周辺環境と深く関係しています。このつながりにより、宮殿から数メートルの場所に建つ邸宅の設計をガウディが任されることになりました。敷地は細長く傾斜しており、この条件が建物の形態と構成に影響を与えています。
建物は不規則な平面を持ち、地下階、主要階、屋根裏の3層で構成されています。外観では、石造の基壇部が、壁面の黄色と赤色のレンガ、そして釉薬を施した陶製タイルの帯状装飾と対比をなしています。ガウディは、ヒマワリの花とその葉という2種類の陶製レリーフモチーフのみを繰り返し組み合わせることで、光、成長、生命の循環に結びついた、強い象徴性を持つ統一的な装飾プログラムを構築しました。この装飾思想はカサ・ビセンスにも見られます。
「エル・カプリチョ」で最も特徴的な要素のひとつが、ミナレット風の円筒形の塔です。この塔は建物のシルエットを支配し、そのオリエンタルな性格を際立たせています。これは、イスラム建築や地中海建築に対するガウディ初期の関心を示すものであり、彼独自の建築言語の中に自由に取り込まれています。
建物全体の鮮やかな色彩と幻想的な形態は、この建築が一般に知られる名称「エル・カプリチョ」の由来となりました。
マクシモ・ディアス・デ・キハノは、工事が完成した1885年に亡くなりました。彼はこの邸宅に住むことはできましたが、それはごく短い期間でした。建物は、彼の必要や暮らし方に結びついた、十分に居住可能な住宅として設計されました。この意味で、この作品は、ピアニスト、作家、植物愛好家であったマクシモの個人的関心と関連づけて読むことができます。それらは建築の中に、また音楽と自然との対話の中に象徴的に表れています。
「エル・カプリチョ」は、ガウディの天才性が最初に開花した作品であり、幻想が建築となり、自然が構造言語となる場所です。
この建物は1969年に国の歴史芸術記念物に指定されました。